座談:心理学と法学の止揚へ

法と心理21巻1号が公刊されました。「座談会:心理学と法学の止揚へ」の司会をさせていただきました。私が知りたいと思うことを、思うに任せて尋ねてしまったのですが、参加された方々のお人柄と丁寧なご発言を通じて、(少なくとも私にとっては)学ぶことが多かったです。
座談会の前に、(1)心理学鑑定と自由心証主義の関係、(2)証人尋問・当事者主義と心理学の関係、(3)伝聞法則・司法面接と心理学の関係について、取り上げる論文およびコメントを法学・心理学双方の研究者からご寄稿いただき、それを受けて座談会を行う形にしております。

特集の趣旨が脱落してしまっており(編集段階で気づかなかった私も迂闊でした)、位置づけがわかりにくくなっていますが、以下に企画趣旨を転載しておきます。

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特集「心理学と法学の止揚の可能性」企画趣旨

 法と心理1巻1号の特集は「法と心理学の可能性」であった。そこでは、法学者と心理学者の双方から論稿が寄せられ、法と心理学の豊かな可能性を示された。そして、企画趣旨においては、「実用的な利用を超えた、双方向の議論の突き合わせに関心」があることが表明された上で、心理学と法学の見方の違いが「どのように止揚されるか」という問題意識が示されている。本特集は、法と心理学会が20年の蓄積を経て、この「止揚」の可能性を探ろうとするものである。

 本学会では、多くの個別報告やワークショップにおいてしばしば繰り返し表明される問題意識がいくつか存在する。例えば、供述の信用性をめぐる心理学鑑定が、裁判所になかなか採用されない、採用されても十分に評価されていないという問題意識は、しばしば心理学者や刑事弁護人から表明される。裁判例を俯瞰しても、心理学に好意的な評価を示す裁判例は多くはないという指摘もある。また、心理学者からは、証人尋問の実施方法への疑問が表明されることもある。刑事裁判において、いわゆる伝聞法則によって、原則として捜査の初期段階の供述を公判において使用できないことについて、違和感が表明されることもある。他方で、司法面接は、現実の運用においても実装されつつあり、心理学が刑事司法制度に受容された例の1つといえる。司法面接は、なぜ受容されたのであろうか。

 このような疑問に対して、法学、特に刑事訴訟法学がどのような応答をすべきなのかは、それ自体重要な問題である。単に、刑事訴訟法の諸原則を建前として説明するのではなく、心理学が抱く疑問に誠実に応接し、解決のためにどのような選択肢がありうるのか、あるいは選択肢がないのだとすればそればなぜなのかを、突き詰めて示すことが必要であろう。より本質的には、心理学と刑事訴訟法学の在り方の相違、ひいては心理学と法学の在り方の相違を明瞭にし、その相違を乗り越えるための基盤を整備することにもつながる(事実の究明に対する考え方の相違など、根本的な物の見方の相違まで深堀りできれば、それは学術的にも意味のあることだと考える)。これらの過程を通じて、刑事司法制度をめぐる議論の質、そして心理学の社会的実装に向けた議論の質は、相互に向上するのではないか。

 以上の問題意識から、本特集では、以下の3つのテーマを設定し、法学者側が刑事訴訟法の原則についての理解を整理するとともに、心理学の知見を受容しにくい構造を明確にする。その上で、心理学の知見が受容される可能性を高めるために法学側でできること、心理学の側に意識して欲しいことを示す。これに対して、心理学者側の応答を示す。これらの諸論考を踏まえて、座談会において法学と心理学を止揚するために期待されることについて、双方の研究者からの意見交換をしたい。