その他:悩みを汲みとるということ

ネット上で提供されているWeb日本評論の「私の心に残る裁判例」というコーナーに、表題の記事を書きました。エッセイなので、肩の力を抜いてご笑覧いただけると幸いです。

今回は、何か1つの裁判例を取り上げて、エッセイを書いてほしいというご依頼でした。しかし、そもそも、どの裁判例を選ぶのか、それ自体を選ぶのに時間がかかりました。私の研究対象からすれば、強制処分や任意捜査の限界にかかわる説示をした最高裁判例がやはり関心の対象になりますが、これだと研究上の関心が前面に出てしまいそうで、私の力量ではエッセイにはなりそうもありません。

訴訟能力が回復する可能性のない被告人の公判手続を打ち切った最高裁判例も、私自身も弁護人の依頼で若干関与したので、印象に残っているし、書きたいこともないわけではないのですが、被害者のご遺族も含めて事件関係者がいらっしゃることも考えると、現時点でエッセイとして書くには相応しくないように思いました。このように、自分が何らかの形で関与した刑事事件の裁判例は、まだエッセイとして書くには難しそうなものばかりです。他の裁判例も含めて、いろいろと考えると、エッセイとして書くことができそうな裁判例を選ぶこと自体が、意外に難しかったといえます。

最終的に、山口地萩支部昭和41年10月19日判例時報474号63頁を素材に、書くことにしました。この裁判例で、緑はそんなふうに感じているんだ、ということが判例を読むときの1つの視点として伝わるならば嬉しく思います。

因みに、判例の形成にかかわる弁護人や検察官に思いを馳せたつもりで書いたものとしては、「判例をつくる当事者、そして法曹」法学教室443号(2017年)2頁があります。機会があれば、併せて読んでいただけると幸いです。